2011年9月10日 愛犬ヤットは私たちの手の届かないところに旅立ちました
11才と5か月でした
もう13年も前の事になりましたが 最後の時のことは未だに
記憶にしっかり残っています
病院の先生から聞いていたことが頭をよぎりました
『動物は飼い主が死なないでと願えば生きようと頑張る、どんなにきつくて辛くても』
という話です
ヤットもそうでした、心臓はもう機能していないというのに トクトクと脈打っていました
先生はありえない事だと言いました
私は ありがとう、ありがとう、ありがとう 何度も何度も言った
もういいよ楽になって、と
別れの時は悲しいです、思い出しても涙がでてきます
命がある以上 いつかは誰も通る道です
先月は義母の命日、今月はヤットの命日 亡き魂を偲ぶ事が続きます
これまで見届ける立場は 幾度か経験してきましたが 今年の命日は
自分が旅立つときがだんだん近づいているのでしょうか
見送られる立場からの景色を想像してみたりしました
声をかけてもみんな気が付いてくれない 何故だ! と思うのかな
肩をたたいてみたら振り返るが、振り向いただけで何もなかったようにしているのをみて
もう世界が違うのだと思うのか? 悔しいと思うのかな? 悲しいと思うのかな?
そんな対応にもいつしか慣れて段々 ただ見守るだけになっていくのかな?
など考えたりします
命日は亡くなった方をいろんな角度から偲んで
その命が自分にどんな影響を与えてくれたのかを思う日なんだと 私は考えます
そして肉体は亡くなりましたが魂は生き続けています
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