言葉は思考と密接な関係がる とか現実にあるものを単純に呼ぶためにある
など言われていますが
私的には言葉は放った人も言われた人もその言葉によって
感情が生まれ、喜びや悲しみ怒りなどにつながる重要な鍵になると感じています
何らかの原因で話すことが出来ない場合は、表情によって伝えることができる
と思います
そしてその言葉(表情)は相手を傷つける為に発してはならないと思っています
誰しもがことばを放つ側にも聞く側にもなります
現在SNSで 簡単に見えない特殊な立場から一人のあいてに攻撃的なことを放つときのことば
また先生と言われる立場の人が生徒なる立場の人へに放つことば
先輩、後輩関係間でのことば
友達が友達へのことば
親子間でのことば
夫婦間でのことば
いろいろな場合があります
今のわたしにとって
一番身近に感じるのは夫婦間でのことばです
夫の言葉や表情で一日の自分の元気度が変わります
夫に左右されがちな自分の気持ちが嫌になったりします
私の気持ちとは裏腹に夫は何とも思っていない事が多いようです
言われた側の気の持ちようで放たれたことばの意味や内容が
変わってくる気がします
とは言え放たれた言葉は、相手にダメージしか与えない
言う必要のないことばだというとき
放った相手が悪意を持って撃沈させるために放ったことばだと感じたら
そんな時は相手に対して負の連鎖がダダダダと進みます
はっ?→ムカッ→落胆→失意→悲しみ→憎しみへと
放った相手が悪意なく言ったとしても聞かされたひとが悪意だと受け止めたなら
それは発してはならかったことばになります
セクハラ問題に似ている
ただその言葉がよい感情を生むか悪い感情を生むかは
会話した双方のつながり方が大きく関係するとおもいます
私の若かりし頃に流行った
さだまさし さんの関白宣言
その歌詞を 今若い人たちが男女差別とか女を何だと思ってるの!
と言っているのを聞きました
私が初めて聞いた時、その歌詞にでてくる男性は
素晴らしくて素敵な男の人だと感動したのを覚えています
これも受けとる側の気持ちが違うと違って聞こえるのでしょう
ことばのどこにその本質があるのか受け止める側によって変わる
放った人の真髄と受け取る側の真髄がマッチしているところでのみ
それは素晴らしいものになる
人はみな幸せになる権利があります
人をせめても、イライラして人に悪態をついても、幸せな気持ちには
なりません。
言われても言っても気持ちのいいことばを話したい
心から本当にそう思います
愛していますや感謝しています
ありがとう、そして
一番難しいことば 許します
など日頃から言うようにしていきたいとおもいます
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