お盆
今年も13日から15日ご先祖様がやってくると言われるお盆が始まりました
13日までに供養物を準備したり提灯を飾ったりお墓掃除をしたり忙しい日々です。13日からその都度毎日仏壇用の食事を作り供えます。
当のご先祖様は果たして喜んでいたりするのでしょうか?
我が家は浄土真宗ですが、お坊さんの
話によるとご先祖様はどんな供養の仕方をしても恨んだりする事は決してありませんと言われました。ならばしきたりに捕らわれず自分なりに故人を偲び感謝の気持ちを新たにするだけでも
充分ではないかなと思ったりします
。お盆であっても何も感じない人もいておかしくないでしょうし、仏教を信仰していない人は全然違う方法で故人を偲んでいるはずです。
お盆にあたり家族、親族各々が違う忍び方をしていいはずなのに、行事に参加しない人はまるで非国民だという目でみられまわりの人々から批難されているという感情がわいてきます。若い時分ならまだしももう67才にもなって自分がご先祖様になるような年なのに未だ他人からの評価を気にして生きている事がなさけないです。
そんな事を考えていると自分は他人からの評価で良い点をとる為に人生を送ってきたのか?イヤ違う。
主人との結婚は親、親戚が全てといっていいほど反対したにも関わらず自分の意思で選び結婚した。
そんな私が180度変わってしまっている事に今頃気が付かされています。
お盆、この準備のために暑さで頭が痛くなり休みたいとか目を瞑りたい状態の中でもやらなければならないと奮起して頑張ったのは何故でしょう。
他人からのよい評価をもらいたいから?『過去人から良い評価をもらった事は、一度もないが』それとも自己満足の為?
ご先祖様の為でない事は確かです。
お盆、この行事で初めて自分の人生をを省みている。
もしかしてお盆とは、ご先祖様を通じて自分を省みる機会なのではないだろうか?
|