幸せって?

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幸せって? 私は時々 この問題に ぶつかるのです

その時々で 内容というか質はちがいます

出逢った人々からいただいたり、出逢った命からいただいたり、物からいただいたり

頂くばかりではなく 私自身が生み出していたり、与えていたり、、、

若いころ 主人の妹がこう言いました

「幸せは99%お金で買える」と  

その頃私は 結婚したばかりで、愛=幸せみたいな公式が 

頭の中に出来上がっていたものですから 「そんなわけはないよ、そんな簡単に手に入るわけない」

と言い返しました  ところが 時と共にその構図は 崩壊していきました

99%とは言いませんが、半分以上は買えると思います ただ私は買えた事がないのです

実際、幸せがいくらするものか、わかりませんし その値段は人によって違います

また欲しい幸せの内容によってもちがいますよね

どちらにせよ それを買えるほどのお金を 私はこの年になるまで 持ったことがなかったのか?

或いは、私が幸せと感じる物は、よほどお金を積まないと買えないものだったのか?

だから ある程度なら買うことができると思うのか?

お金を出して、幸せという気持ちを買う =幸せを得る

自分が 得ると幸せ と感じる品物や、幸せと感じる空気や、幸せと感じる人との交わりが

実際にあって、それらすべては、自分の判断で 幸せ価値観が 変わってくるものだと思うのです

自分ひとりで買えて 幸せと引き換えられるなら問題はないでしょうが

例えば 夫婦の間で 価値観が違っていれば ややこしい事になります

簡単に買って生活に差し支えないものであるならいいが、そうはいかないものだとしたら、

どちらかが 気持ちを押さえていくことになります。

そこに不満がたまってしまうなら 片方は幸せをお金で買えたかもしれませんが

その一方で もう片方は買えてない事になります。しかも相手の幸せのために

不幸になった事になる なんかおかしなことです

となると、夫婦にとっての幸せは、どちらかが手を引くという事に

満足感を抱く事か、相手が幸せ感を得たことを幸せと感じられる事

これが一番大切な事になってくるのではないでしょうか?

決して重荷ではなく、どうでもいいいと感じている事でも 相手にとって喜びならば

その様子を見ることに喜びを感じるようになる それができれば

間接的に お金で幸せを買う事ができますね

人はみな 幸せを手にして生れて来ていると 私は思うのです

ただ 握りしめていた手が 自然と開いてしまった人、まだ つかんだままだけど

力尽きて開きかけている人 しっかり握りしめている人 いろんな人たちがいるのだと

思います 

 

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