言葉が足りない

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思いを人に伝えるのは、難しいものです

上手く伝えよう とか 相手の気持ちを考えすぎる 等で難しくなるからでしょうか?

集団生活に入った頃(幼稚園時代)に、初めて自分の気持ちを、

他人に伝える事を経験したと思います 

そのころは思ったことをそのまま 言う事が多いでしょう

家庭で、こんな事を言ってはいけない あんな事を言ってはいけない と教えられ 

それを守って、理由はわからなくても人には言わない、

言ってはいけない事があることを学んだと思います 

そのうち自分が言われて嫌なことは言わない風になり、

周りと衝突なく接する手段をみにつける

こんな事はほとんどのひとが、経験しており、それは家の内外問わず、

自然と実行してきたはずですところが、一般に中年と言われる年ごろから、

何をどうしたらそうなるのか、言いたい事を言い、

自分の気分のままにふるまう いわゆる、

わがままおじさん、わがままおばさんが 増えてくるようです

昔そんな人を題材にした漫画があり

「オバタリアン」と呼ばれていたと思います

あぁ、おばさんだから仕方がないとか、

おばさんは、ずうずうしくなるんだよね とか

まるで、自分たちは絶対に違うんだ 関係ないんだと言わんばかりに 

みんなが非難していた気がします

オバタリアンなる人も 小さい頃からそうだったわけではなく、

年配になってから表にでてくるようです

私も、子供たちや、昔から知っている人たちから見たら、そうなのかもしれません

その訳を考えてみると、いい年になった時、

自分を諫めてくれる人がいなくなっているからなのでしょうか? 

わがままおじさん、わがままおばさんになった人には、

それなりの理由があるのかもしれませんし 

或いは そんな事すら気が付いていない人もいるでしょう

夫婦の間で考えてみると、わがままおじさん と 

わがままおばさん になっているふたりが

一緒に暮らしているわけですから、いざこざが絶えない事でしょう

職場でおきた不満、合点がいかない事など、

お互いに家庭で爆発させてしまう事になる

核家族の20代、30代、くらいの 若い夫婦でも、

そうなる可能性は 大 です

家族の中で、自分たちを諫めるひとがいないわけで、

外での鬱憤を、家庭で爆発させるという構図です

それで迷惑をこうむるのは子供たちです それを見て育って 

大人になったら家でしたいように

出来るんだと勘違いするのではないでしょうか

家庭は小さな社会で 集団生活の基本形です

そこで大将になれば、傍若無人にふるまえるわけで、大将になった人は

「だいたいわかるだろう」 とか 「察してくれるだろう」 とか 

多少暴言を吐いたところで生活に何ら支障はないだろうという気持ちでしょう 

これでは、人間生活がめちゃくちゃになっていきます

腹立たしい気持ちなら その気持ちを 抱く理由を言葉にして伝える事 

一見言い争いになりそうですが

それは、相手に対して敬意を表している証拠だと私は思います

口をつぐんでしまう事や、無視すること、問題を大きくしないためにとる手段でもありますが

言葉が使えるなら、言葉で気持ちを交わす それはとても大切な事だと思います




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