大晦日に想う

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いよいよ今年が終わろうとしています。

娘一家も帰省してきて賑やかな我が家です。

ほんとうに珍しく 夫が元気に大晦日を迎えています。

神様が 今年の頑張りに 最後のご褒美をくれたようです。

せっかくご褒美に元気をもらったのに

娘婿と2人 打ち納めだとか言ってパチンコに

いったのでした。

結果は2人ニコニコだったようでした。

後 数時間みなの笑顔が続きますようにと願います

今年を 振り返ると 毎年 思うのですが

あっという間 だったなと

年初めに 主人の還暦のお祝いに 子供たちが1泊2日で 

温泉に 招待してくれて 孫も一緒に

短い時間でしたが 楽しいひとときを いただきました

主人と出あって 40年

その人が もう還暦?

なんか 他人事のようです

この世に 生れてきてから 時は 

一度も止まることがなく 何があろうとも 進み続けるのですから

当たり前ですよね

だから 時が解決してくれる とか言う 言葉が

あるのでしょうね

5月には 私の父が亡くなりました

89才でした 大往生と言えるのだと 思います

レビー小体型認知症でした 

私が知っているだけでも 

7年前くらいから症状がありました

ずっと側で 最期まで 介護していた姉は

もっと前から感じていたのかもしれません

厳格で しっかりしていて 綺麗好きな人でした

私には 厳しくて 怖い人でした

それは、私の見解ですが、姉からみたら

私にはとても甘かったらしいのです

見方によっては 全然違うんだな と知りました

私は 親思いで 出来の良かった 姉が好きなんだな と

ずっと そう思ってきました

それが 私の生きる力に なっていました

私に甘かったとか思ったら 頑張れないで

崩れてしまいそうになります

最期まで 親不孝で通そう と思いました

結婚してから 親の元を 離れて以来

最期まで 離れっぱなしで 心配ばかり させてしまいました

きっと 発病するまで 私の行く末を 

心配していたのだと思います

今 自分が子供の行く末を 心配するのと

同じなんだろうなと わかるからです

子供時代 親は絶対的存在で 

親の考え方が すべての指針でした

それが いつの間にか 自分の考え方で 進みはじめ

他人と結婚して その人の姓を名乗り

いつしか 親とよりも その人と過ごした時間の方が

長くなり 親は 遠くにいる人に なってしまいました

でも どんなに 離れていても 会話してなくても 

失敗しても 変わらず 愛してくれるのが 

親だと きがつきました

気づいた時は もう遅かったのです

その親は この60近い私の事を 

2人いたはずの 一人の娘だとは

気づいていませんでした

父が亡くなったあと  私の周りで 何かが

少しずつ 変わり始めた気がしています

良いお年を〜

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